青函連絡船の思い出

連絡船最後の年、家族で函館に日帰り旅行に行くことになった。しかし青森港でじっちゃが行方不明に。耳が遠く言葉も不明瞭なじっちゃ、いくら呼んでも探しても見つからない。船内でも見つけられず、涙ぐむ私達。函館に着いて、私達が目にしたものは…

どうやら、実話らしいです。

私はこの出来事を覚えておらず、もっとずっと大きくなってから…というかこのネタを書く前の月、帰省した兄から聞いた話なのです。
私は幼少時の記憶がほとんどなく、酷いトラウマくらいしか残っていないので、自分が何歳の頃なのかはっきり覚えていません。なのでこの話にある「最後の年」ってのも怪しいです(実際最後に乗ったのは小学校の修学旅行だったと思います)。
覚えていないというからには、それよりもっと前の話だったかもしれないし、もしかしたら乗ったのは連絡船じゃなくてフェリーだったかもしれないし、どっちにしろ自分の記憶に相当曖昧な部分が多いので、兄から聞いた時も「そんなことがあったのか…」とどこか他人事のように思いました。

じいさんは本当にどうしようもない人でした。もう亡くなってだいぶ経ちますが、私は嫌いでした。
私にとっては笑えない思い出話ばかりです。
ただ、この話は可笑しいなと思ったので、ネタに使わせてもらいました。
家族内では笑い話ですが、これを果たして他の人が聞いても楽しいのかどうかで悩みました。
だからけっこう、手を加えてあります。どこからどこまでなのかは、ご想像にお任せ。

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