夜の詩人達〜すべてはここから始まった。


 かつて木曜ワラッターには「夜の詩人達」というコーナーが存在した。読み手となるのはベルベットヴォイスの「あつし」という人物で、リスナーから送られてきた詩(ポエム)を、毒を含んだ科白でバッサバッサと切り捨てていく、文学的でありながらも笑えるコーナーであった。
 かくいう私も「自称・詩人」となった一人だった。
 決して「あつし」の声の虜になった、からではない。その当時のコーナーを聞いて「こんなんだったら私にも書ける」と思ったからなのだ。
 思い上がった女子高生(当時)は強かった。ひとたび送った詩が読まれるや否や「すごい!もしかして私って才能あるんじゃない?」と高をくくり、思いつくままに書き連ねた。毎週のように、封筒に鉛筆書きの詩をたくさん詰めて送り続けた。スタッフだっていい迷惑だったに違いない。
 やがて木曜ワラッターは終了、程なく橋本時代の金曜ワラッターも終わり、名前だけを引き継いだ「金曜ワラッターMoteMote大放送」になってもまだ詩のコーナーはあった。読み手は「ヌワンダ」という人物になったが、それでもまだ私は詩を送り続けた。時に賞品をいただくようになったのもこの頃で、親に訝しげに睨まれる事も多々あった。でも私はやめなかった。
 転勤でやむなく青森を離れるまで、とにかく週に一通でもいいから送るようにしていた。

 そこまで私を駆り立てていたのは何なのか。
 簡単なことだ。そこに私の居場所があったからなのだ。
 家庭にも学校(職場)にも見出せなかった、自分の存在意義。自分の言葉が電波に乗ることは、存在を赦されたことと似ている。
 私は、ここにだったら居ていいのかもしれない。だから認めてほしかった。ただそれだけなのだ。

 青森の地に戻る前に、「夜の詩人達」のコーナーは幕を下ろしたという。それを知ったのは二十歳を過ぎ、社会人として仕事に恋に忙しくなってしまった日常の中、もう金曜ワラッターという番組のことを思い出すこともなくなった頃だった。

 そして2006年9月、秋の改編によりワラッターが帰ってきた。「土曜ワラッター」として。
 パーソナリティーは本家本元・橋本康成氏。あの頃のリスナー誰もが待ち望んでいた、橋本ワラッターの復活だった。
 橋本ワラッターといえば「今週のどんだんず」が有名だが、私は別の期待をしていた。
「あつし…帰ってこないかなぁ…」
 ネットのワラッター新聞で見たタイムテーブルに、「夜の詩人達」は…無かった。
 だいたい、もう二度とないと思っていた「今週のどんだんず」が復活するだけでもありがたいのだ。贅沢を言ってはいけない。
 どうせならそっちにネタを送ってみよう、とネタ探しに奔走する日々が始まった。後輩から仕入れたり、仕事先で出くわす妙な客を観察したり、とにかく周りを見るようになった。実際、数多く送った中のいくつかは読まれ、どうにかウケて賞をいただいたりもした。

 今の私を突き動かすもの。それはただ単に目立ちたいとかいう単純なものだ。
 津軽弁で言うところの「もつけ」の血が騒いでいる。
 年月を重ねた分だけ、自分のしたいことに正直になった。
 人に笑われ揶揄されても構わないほどの喜びを知り、笑いをとる快感に味を占めた三十路の女がそこにいた。

 昔のように、ここにしか居場所を見出せないでいた私ではない。

 …それでも渇望していた。
 もう一度、彼に──「あつし」に、会いたい…と。
 
 2007年2月、願いは突然叶ってしまった。
「あつしが帰ってきます」
 ネットでの告知を見た私の心は震え、手のひらには汗が噴き出した。
 もう二度と会えないと思っていた想い人に、再び巡り会った甘い痛み。
 嬉しい。でもそれ以上に困惑した。 
 はたして自分に、あの頃のような詩が書けるのだろうか。
 居場所を求め、赦されたくて、救いを待ちながら、安らぎに飢えて彷徨った若い日々。
 笑いを取ることに全力を尽くしていたこの頃の自分を振り返る。
 もはや何をぶつければ届くのか、わからない。

 それでも。

 もう一度だけ、彼の声が聞けるなら。
  
 「今」の私は、どんな言葉を紡ごう…


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